クラッシュコース 第十七章B 『エネルギー予算』

この文章は、クリス・マーテンソン氏による『クラッシュコース』第十七章のB 『Energy Budgeting』の翻訳です。 – 目次はこちら

それでは、私個人の投資判断と日常的な消費習慣の両面に大きな影響を与えている発想の核心へと迫ります。私はこれをエネルギー経済と呼んでいます。

工業用途での石油利用が始まった時代には、世界人口は15億人であり、石炭蒸気船と並んで帆船もまだ広く使用されていました。それ以来、世界人口は4倍以上に増加し、世界の経済規模は20倍に、エネルギー使用量は40倍にも増加しています。

私たちは、人類の潜在能力の爆発的解放から生じた恩恵に浴しています。しかし、永続的繁栄という夢の儚さを本当に理解するためには、現代社会を成り立たせる上でエネルギーが担っている役割を知らなければなりません。

第5章の内容を思い出してください。5章で私は成長と豊かさの両方が「余剰」に依存していることを指摘しました。そして、その他にもう一つ、社会的に重要な要素があります。

図中の黄色の長方形で、人類に対して供給可能な食料の合計値を表現するとします。ただ生存のためだけに必要となる食料がこれと全く同量であるとすれば、社会は原始的であまり複雑ではない状態に留まるだろうと考えられます。

しかし、もし1カロリーを消費して1.2カロリーを生産できるならば、中世と同様のエネルギー均衡を実現していることになります。わずか20%という余剰エネルギーは、中世の豊かな社会階層の形成、専門化した職業の発展、巨大な建築物を建設するために十分だったのです。

十分な余剰エネルギーが存在すれば、とても複雑な社会を短期間で構築することもできます。産油国であるドバイの17年間の写真は、それを例証しています。

ここで、クラッシュコース13番目のキーコンセプトを述べます。
「社会の複雑性は、余剰エネルギーに依存している。」
こう考えると、現代社会が得ているエネルギーの総量はどの程度なのか、そして余剰エネルギーがどこから生じているのか、もっと注意を払わなければならないと言えないでしょうか。

そこで「エネルギー予算」という概念を簡単に紹介します。エネルギー予算の考え方は、家計予算と全く同じですが、ただし予算の中にお金の項目は存在しません。それは以下のように働きます。

ある時点において、社会の需要に従って使用可能なエネルギーは、一定の量存在しています。エネルギーの総計をこの正方形で表現します。太陽光、風力、水力、石炭、原油、天然ガス、あるいは、ここで挙げなかったもの全ても含んでいます。

これが私たちが自由に使えるエネルギーの総合計です。さて、翌年更に多くのエネルギーを使用したいと望むのであれば、当然いくらかのエネルギーを新エネルギー発見のために投資しなければなりません。また、エネルギー資源を採掘、流通させるためのインフラ資本を建造、維持するのにもエネルギーの投資が必要です。道路、パイプライン、送電塔やさまざまな建造物などがこのカテゴリーに含まれます。

残りのエネルギーが、私たちが消費できる量です。このうちのいくらかは、基本的な欲求、たとえば水、食料や住居のために消費されます。最後に残ったエネルギーが、ガラパゴス諸島への旅行や、フラフープや、お祭りへの参加といった、余暇のために使えるものになります。

これをもっと単純化します。エネルギー消費量は2項目に分類できます。社会の全てを維持するために必要なエネルギーと、ある程度までは私たちが自由に使い道を決められるエネルギーです。

これは人の収入と同じように考えられます。家計年収が50万ドルである家庭を考え、全税率が30%であるとします。手取り年収の35万ドルの中から、食費、家賃や自動車のガソリン代を支払い、他のことにお金を使わなければなりません。もし、税率と手取りが逆になったとすると、手元には15万ドルしか残らず生活は一変してしまいます。この家族は食料と家賃しか払えず、自動車や新しい家電や休暇は遠い記憶となってしまうでしょう。余暇にできることや購入できるものといった観点から見ると、生活は強制的に単純化されます。これは不愉快な経験でしょう。

つまりは、エネルギーを得るために再投資されるエネルギーは、給料に対する税金のようなものだと捉えてほしいのです。

理由を説明しましょう。

エネルギーの価格については一旦忘れてください。実際のところ、価格には物理的な意味が無いからです。特に、お金が真空中から印刷されているような時代には。そうではなくて、ある量のエネルギーを得るために必要となるエネルギー量に注目します。後で説明しますが、これが本当に意味のあることだからです。幸運なことに、この概念は分かりやすいもので「ネットエネルギー」と呼ばれています。

ネットエネルギーの計算では、一定量のエネルギーを得るのに必要となるエネルギー投入量で、獲得量を割るのです。エネルギー投入量は税金であり、一方で獲得量は手取り収入に対応します。1バレルの石油を使って、100バレルの原油を掘り当てたと考えてみます。この場合、ネットエネルギー収益は100:1だと言えます。今の例では、収入100に対して税額は1、つまり1%です。よく使われる別の言い方として “Energy Returned on Energy Invested”、省略してEROEIという言葉があります。この章では、単に「エネルギー収支の商」と呼ぶことにします。こちらの方が視覚化が簡単ですし、本質的には同じものなので。

それでは、エネルギー収入と支出の関係を図に表して、これまでの話を視覚化してみます。赤い部分が投入するエネルギーであり、緑の部分が獲得できるエネルギー量、つまりネットエネルギーです。赤と緑の合計は、常に100%となるように描かれています。最初のシナリオでは、エネルギー収支の商は50となっています。これは、エネルギー探索・生産に1単位のエネルギーを使用する毎に50単位のエネルギーを得られるという意味です。言い換えると、2%のエネルギーが探索と生産のために使われ、残りの実質98%が我々の望み通りに使用できるエネルギーです。これは利用可能な余剰エネルギーとも呼べます。

ネットエネルギー比が15の地点でも、利用可能な余剰エネルギーはまだ高いままです。

言うまでもないことですが、この余剰エネルギーこそが社会全体の経済成長、技術的進歩、そして驚くほど豊かで複雑な社会を支えているのです。

それではグラフの右側の部分で何が起こっているかに注目してください。ネットエネルギー比の値が10から5の間の部分です。指数のグラフについての章を見終えた後であれば見覚えのある形状ではないでしょうか。ただし、今回は下方へと低下するグラフなのですが。横軸の値が5以下のところではグラフは激しく低下しており、そして1の時にはゼロとなってしまいます。1単位のエネルギーを獲得するために1単位のエネルギーを消費するようになった際には、余剰エネルギーは存在せず、その時はわざわざエネルギー資源を採掘する意味は全くありません。エネルギー収支の商が5以下のところでは、私たちは「エネルギーの崖」の上に居るのです。

なぜこのグラフが真に重要であるのか理解するために、石油を例に取ってネットエネルギーの歴史を捉えてみます。1930年代には、石油探索に用いられた石油1バレルあたりおよそ100バレルの生産量があったと考えられています。つまりは100対1という値であり、グラフ上の最も左に位置していました。1970年代には油田はやや小規模になり、原油は地中深くに位置するか、あるいは採掘に高度な技術を必要とするようになりました。当時のネットエネルギー収益は、25:1にまで低下しています。それでもまだ高い数値であり、多くの緑の領域が残っています。1990年代も低下傾向は続き、石油発見の利得は18〜10:1となりました。

それでは現在では? ネットエネルギー比率はたったの3:1と推定されています。なぜネットエネルギーの産出量が低下したのでしょうか。過去には小規模なリグの建設に要する金属を精製するには、比較的少量のエネルギーで十分でした。また、発見量は莫大であり、油田は比較的地中浅くに存在していました。今日では、エネルギー資源採掘に要求されるエネルギーは増大しており、石油探索船やリグは巨大なものになっています。1930年代のごく普通のリグの大きさと比較してみれば、何十倍もの規模の差があります。更には現在では、油田はより地中深くまで採掘されており、しかも発見量、生産量共に減少し続けています。これら全てがネットエネルギーを低下させているのです。

では、莫大な量の原油が含まれていると喧伝されている、いわゆるタールサンドやオイルシェールはどうでしょうか? このところ、「サウジアラビア数個ぶん」の埋蔵量と等しいとも言われていますが。これらのネットエネルギー値は著しく低く、サウジアラビアの原油における100:1という数値とは比べるべくもありません。更には、これらの資源開発に関わる水資源や環境への悪影響は、恐しいまでに高いものとなっています。

そうだとすれば再生可能エネルギーはどうでしょうか? バイオマスに由来するメタノールのネットエネルギーは、せいぜい3倍程度でしかありません。そして、バイオディーゼルの場合は2程度となっています。トウモロコシ由来のエタノールの場合は、甘めに評価したとしてもネットエネルギー産出は1をわずかに上回る程度です。それどころか、ある調査によるとマイナスという評価さえもあります。更に、その他の液体燃料として利用可能なエネルギー源を加えたとしても、全てが「崖の急斜面上」に存在しています。代替燃料のネットエネルギーを急速に増加させられる方法を発見できない限り、私たちの基礎的欲求や余暇に使用できる余剰エネルギーは低下するでしょう。

太陽光や風力発電は、いくらか高いネット産出を示していますが、しかしこれらは発電手段であり、液体燃料の生産方法ではありません。現代社会は既に液体燃料に対して輸送・使用用途で集中的な投資をしてしまっており、エネルギー源の切り替えは容易ではありません。ところで、「水素経済」なるものは、グラフ上のどこに来るでしょうか。ほぼ1:1の位置です。その理由は、地上のどこにも水素の埋蔵は存在しないため、全ての水素は何か別のエネルギーを消費して生産されなければならないからです。つまり、水素はエネルギー源ではなく、エネルギーの消費だということです。水素を生産すればエネルギーは失なわれます。これは悲観論ではなく、自然の法則なのです。熱力学の第二法則そのものです。水素は、エネルギーの媒体であり、エネルギー源ではありません。より正確に言うならば、次のように表現できるでしょう。水素はバッテリーである、と。

ここで少し非現実的な想定をします。誰もこんなバカげたことはしないでしょうが、トウモロコシエタノールで社会の全エネルギー需要をまかなうという政策を、議会が決議したと仮定します。その時には何が起きるでしょうか。議会のエタノール政策を反映してグラフを修正してみると、ほとんどの領域が赤となり、緑の部分はわずかです。税金はとても高く、手取り給料はとても少ない状態です。考えられる全ての代替エネルギー源から、議会がエタノールを選択したということは、私には多少奇妙に思えます。原油を満載したロケットを宇宙へ直接捨てる以上に、これ以上愚かな考えを思いつくことはできません。

重要な点としては、政府がエタノールに補助金を付けて、販売価格を1ガロンあたり数ペニーまで下げたとしても、我々の社会は破滅を逃れられないだろうということです。

その理由は、既に述べた通りです。余剰エネルギーが減少したら、社会の複雑性も低下せざるを得ません。
エタノール体制のもとでは、多くの専門的職業は消滅せざるを得ません。食品添加物規制の専門官は、農家に逆戻りするでしょう。小児腫瘍放射線医は、まじない師にならざるを得ないかもしれませんし、地方のオリンピック企画局員は、まぁ、何かしら別の職を見つけなければならないでしょう。もし現代社会においてエタノールを液体燃料として生活を営むとすると、現代社会に関連付けられている全ての専門的職業は、即座に消滅せざるを得ません。なぜなら、実際上エタノールからは余剰エネルギーを得ることができないからです。

この図の、消費エネルギーと再投資エネルギーのバランスが取れた状態から、すぐ不安定な状態に変化するでしょう。というのは、エタノールや他の乏しい再生可能エネルギーは、現状の私たちのライフスタイルとは全く相容れないからです。

では、次の章へ進む前に本章のキーコンセプトをもう一度おさらいします。キーコンセプト13番「エネルギー価格を考えることは非合理である。ネットエネルギーが全てである。」
このキーコンセプトにもとづいて考えると、トウモロコシエタノールも水素も残念な欠点が存在します。
キーコンセプト14番 「社会の複雑性は、余剰エネルギーの上に成り立っている。」
もし、私たちが現在の社会の形をそのままで維持したいと望むのであれば、このキーコンセプトを学んで身につけなければなりません。

それでは、17章『エネルギーと経済』に進みましょう。

ご清聴ありがとうございました。