クラッシュコース 第十章 『インフレーション』

この文章は、クリス・マーテンソン氏による『クラッシュコース』第十章 『Inflation』の翻訳です。 – 目次はこちら

現在の経済情勢について考える前に、もう1つだけお伝えしておくキーコンセプトがあります。インフレーションに関わるものです。

多くの人はインフレーションを価格の上昇だと考えているようですが、しかしそれは間違っています。ある年に1ドルだったりんごとオレンジの価格が、翌年に10ドルになったと想像してください。去年も今年もりんごやオレンジの味が変わらないとすれば、本当に変化したのはお金です。お金の価値が下がったのです。

インフレーションは、価格の上昇によって起こるのではありません。価格の上昇はインフレーションの症状です。インフレーションは、商品やサービスに対して過剰な量のお金が存在することにより起こります。観測されるのは価格の上昇ですが、インフレーションの際実際に起こっているのは、単純にお金が多すぎるためにお金の価値が下がっているということなのです。

例を上げましょう。救命イカダに数人が乗っているとします。ボートの中の誰かがオレンジを持っており、彼はオレンジを売りたいと思っています。救命イカダの乗員の中で、たった一人だけが1ドルだけを持っているとします。ですから、オレンジは1ドルで売られます。おっと、ちょっと待ってください! オレンジが売られようとしたまさにその瞬間、あなたは10ドル札がポケットの中に入っていることを思い出しました。さて、ここでオレンジは何ドルで売られると考えられるでしょう? そうです。10ドルですね! そして、オレンジには何も変化はありません。あなたが10ドル札を出す前と後で、オレンジの味や購入意欲が変わらないとすれば、変化したのはボートの上で取引されるお金の量だけです。

そこで、こう言うことができます。「インフレーションはどこでも、常に貨幣的な現象である」と。

そして、小さな救命ボートの上で成り立つことは、国家全体でも成り立ちます。ここでは、アメリカの長い歴史を使って話のポイントを説明します。

今表示しているのは、1665年から2008年までの300年以上に渡る合衆国の物価水準のグラフです。しかし、今のところは、1665年から1776年までの推移だけを描いています。このグラフにおける縦の軸は、物価水準でありインフレ率ではないことに注意してください。ここで「一体どうやって1665年から1776年まで、ましてや2008年までの物価水準を比べることができるのだろう? 300年の間に生活水準は全く変化しているじゃないか。」と疑問に思われる方も居るかもしれません。

生活水準の明確な変化を考慮しなければならないことは確かですが、実際にここで比較しているのは人々の生活の基本的な部分です。1776年に生きていた人も、1665年に生きていた人と同じく食事をしていました。また、1665年でも1776年にも、人々は移動し、教育を受け、何らかの家に住む必要があります。ですから、ここで比較しているのは、ある時期と次の時期における相対的な生活のコストなのです。つまり、インフレ率の比較です。

1665年の基本的な生活費の値は「5」とされています。このグラフを見ると、1665年から1776年の間には、ほぼ全くインフレーションが起きていないことに驚かされます。111年の間、1ドルの貯金は、1ドルの価値を持っていたのですから。ある人が1000ドルを稼ぎ、コーヒー缶に入れて裏庭に埋めておいたとします。そして、その曾孫の孫がコーヒー缶を掘り出して、111年前と同じ1000ドルぶんの恩恵を受けられたという社会を想像できるでしょうか?

これは決して安っぽいファンタジー小説の話ではなく、アメリカで過去に実際にあったことなのです。当時、合衆国は銀・金本位制を取っており、平和な期間中にはほとんど完璧なまでの物価の安定性の恩恵を受けていたのです。しかし、アメリカ独立戦争が勃発しました。そして、銀と金にその基礎を置いた債券では、合衆国は到底戦費を賄えないという状況に陥りました。

そのため、合衆国は「コンチネンタル」と呼ばれた紙幣を印刷し始めました。当初、コンチネンタルはある量の金や銀によって裏づけされていました。しかし、独立戦争の戦費が当初想定されていたより高額になるということが分かると、政府はより多くの紙幣を増刷し始めました。当時のイギリスは、インフレーションが社会に対して及ぼす破滅的な影響を理解していたため、偽コンチネンタル札を製造しアメリカ中に偽札をバラ撒きました。その結果、コンチネンタル紙幣の価値は暴落し始めました。

長く、大規模なインフレーションが定着するよりも前に、アビゲイル・アダムス[1] は激しく不満を述べています。商品を手に入れるのが難しく、生活に困っている、と。

インフレのグラフから分かるように、アメリカ独立戦争は物価水準を”5″から”8″へ押し上げました。
戦後、コンチネンタル紙幣は一般大衆から完全に拒否され、一般大衆は通貨として金や銀を強く好むようになりました。興味深いことに、物価水準はすぐに戦前の水準まで戻っています。

次の深刻なインフレーションの発作も、やはり戦争とそれに伴う紙幣の過剰増発が原因です。そして再び、戦争が終結すると比較的すぐに物価は戦前水準まで戻り、その後30年間安定しています。ここまで、200年近くの物価をグラフに描いてきましたが、生活コストはほぼ1665年と変化していません。これは本当に興味深い現象です。

しかしまた戦争が、南北戦争が発生しました。そして今回も似たような現象が発生します。戦費を支払うために、北部諸州は紙幣増刷に頼らなければなりませんでした。北部諸州が発行した紙幣の名前は今日の合衆国紙幣にも名前を残しています。当時のお金は本当に「グリーンバック(裏面が緑)」[2] だったのです。このときも戦争の影響で急速にインフレが発生し、危機の終結に伴ってすぐに戦前の物価基準に戻るということが繰り返されています。これまで250年間を通して、生活コストはほとんど最初と変化していません。想像できますか?

しかし、また戦争が勃発します。そしてこの第一次世界大戦はそれまでのどんな戦争より大規模なものでした。またこの時期も高いインフレーション率が記録されています。

そしてまた空前の規模の第二次世界大戦が発生し、またもインフレが発生しました。しかし、この時には何か奇妙なことが起こります。インフレーションは、次の戦争が起きるまで解消されなかったのです。なぜでしょうか? 二つ理由があります。第一に、アメリカはもはや金本位制を採用しておらず、代わりに連邦準備制による不換紙幣制度に移行していており、そして一般市民は金や銀など、代わりとなる貨幣を持ち合せていなかったからです。第二に、歴史上初めて戦争の和解後も戦時体制が解消されなかったからです。

それどころか、完全な動員令が維持され長きに渡る冷戦が続きました。一発も銃弾が発射されなかったとしても、インフレーション傾向からは明らかな戦争状態だったと言えます。

そして、今、長い歴史全体を見てみると、ある明白な法則を導くことができます。全ての戦争はインフレを起こす。終わり。例外は存在しません。

なぜでしょう? 実際のところ理由は簡単です。政府は超過支出に陥った時は、常にインフレを起こす状況を作り出すものだからです。しかし、政府支出が正当なインフラ支出、例えば道路や橋の建設に使用された際には、政府投資は国内の生産性の向上をもたらし、新しい商品やサービスの開発を可能にするため、長期的な政府の歳入を押し上げることができます。

しかし、戦争は別です。膨大な量のお金が、単に破壊という以上の意味を持たないことに浪費されてしまいます。お金が残っていたとしても、国内の商品は破壊されてしまいます。爆弾が爆発しても、国内の経済に後に残るような利益は一切ありません。つまり、戦争への支出はインフレを引き起こす最も大きな効果を持っていると言えます。戦争は経済に対するダブルパンチです。お金が流通から引っ込み有害な影響を与え、商品は消滅するのですから。その上、商品が爆破されなかったとしても、戦争に特化した武器類は、たとえ使われた技術がどれほど精巧なものだったとしても、国内経済に対する実質的な利益を残しません。

どのような理由によってか、アメリカ主流派のメディアは、アフガン戦争とイラク戦争は一般市民にとって相対的に「痛みの少ない」ものだったと表現しています。歴史的に見て莫大な戦費にもかかわらず、です。

実際は、15年間のコモディティ価格のグラフにおいて緑の線で示した通り、10年以上、物価指数はある範囲内で定常的に上下してきたことが分かります。しかし、イラク戦争が始まってすぐに日用品価格は上昇し始め、その後の5年間で140%のインフレが発生しています。この事実はガソリン価格や食料価格の上昇から確認できます。

ですから、もし誰かが一般市民はイラク戦争に対して犠牲を払っていないと主張するのであれば、彼らに対して、「一般市民は貯蓄の価値低下や商品価格の上昇といった形で犠牲を払っているのだ」と反論しましょう。本当にありがとうございました。

これをどう考えるにせよ、本来の話に戻ります。このグラフは1655年から1975年までの物価を示しています。1971年8月15日のニクソン大統領の行動を考慮した上で、この後1975年から現在までのグラフはどういった形を取ると想像できるでしょうか? これが私たちの世界です。今生きている人は物価のグラフが著しく上昇する期間に生きてきたので、これが当然のことだと思い込んでいます。インフレーションは今や永続的現象であり、一定の利率で進行してきたため、人々が持つお金も指数的に価値を減らしています。

それがこの「ホッケースティック」のグラフから分かることです。

お金の価値が指数的に減少していく世界に住むということはどういう意味を持つのでしょうか? みなさんはその意味を理解しているはずです。なぜなら、その世界に住んでいるのですから。その意味するところは、単に同じ場所に留まるためだけに常により過酷な労働をする必要がある社会であり、インフレーションによって貯金が減っていくのを防ぐためだけに、驚くべきほどリスキーな投資上の判断を迫られる社会です。

かつては1人の稼ぎだけで十分だったのに、今や子供を家に残して共働きをする必要のある社会です。お金の価値が常に減じていく世界とは、舵取りがおそろしいまでに複雑な社会であり、特に十分な収入やコネの無い人にとって、失敗する余地の乏しい社会です。

そして、経済制度が現在の形態でなければならない理由はありません。実際、私たちの国の長い歴史を通じてインフレは一般的な現象ではなかったのですから。
また、インフレは本質的に必要で、かつより大きな善のために不可避のものだとも言いがたいと言えます。なぜならば、1665年から1940年の間には、永続的なインフレによる「利益」無しにたくさんの進歩と発展があったからです。

この章のポイントは、私たちの国は常にインフレ体制のもとに生きてきたのではないということ、そして、歴史的観点からはインフレはむしろつい最近進んだものだという事実を理解することにあります。

全ての文脈を理解できるように、アメリカ合衆国が金本位制を放棄した時点に印をつけます。最初は国内的に、そして次に、国際的に完全に金本位制を放棄した時期です。

インフレーションは、重力のような不可避の自然の法則などではなく、むしろ政府の政策のありかたによって完全に説明ができるものです。私がこの事実に驚いたように、みなさんも驚かれるかもしれません。

そこで、私たちは5番目のキーコンセプトまでやってきました。インフレーションは、どこでも、常に、貨幣的な現象である

少しだけ言い換えると、インフレーションは恣意的な政策の結果であると言えます。

これを表現した冗談があります。「紙幣価値は常に本質的な価値へと返っていく。–ゼロに。」たしかに、これはちょっと悲観的すぎる意見かもしれません。インフレ期を生きたドイツ人女性が紙幣をかまどにくべて、紙幣が本質的に持つ熱を得たように。

近代経済学の一分野で、私たちの日常生活を支配しているマクロ経済学の創始者、ジョン・メイナード・ケインズは、インフレーションについてこう述べています。

確かにレーニンは正しかった。社会の基盤を破壊するために、通貨価値を損ねること以上に確実で巧妙な方法は無い。

継続的インフレのプロセスによって、政府は市民の重要な資産を、内密に気づかれることなく押収することができる。

このプロセスは、破壊の側に立つ経済法則の隠された全ての力を引きよせ、しかも誰一人として原因を解明することはできないだろう。

金の制度の設計者や管理者たちが、インフレの及ぼす破壊的な悪影響を理解していたことを考えると、この計画が正確には一体どういったものであるかを考えなければなりません。

そこで、ついに第10章において、3つの重要なポイントを結びつけることができます。

#1: 1971年、アメリカ合衆国と全世界は、お金と金(きん)の制約に存在していた最後の繋がりを終了させた。そして、連邦政府の借金は「曲がり角を曲がり」、二度と以前の状態に戻らなかった。

#2: 同時に、マネーサプライも「曲がり角を曲がり」、商品やサービスの成長速度より速く増加を始めた。

そして #3: インフレーションは #1と #2から完全に予測できる帰結である。

バン、バン、バン。1, 2, 3。全ては繋がっていて、全て同一のことを述べています。そして、この3点は私たちの未来に対して重大な意味を持っています。もしこれら3つのグラフが終わりを迎えることなく指数的に加速を続けて増加できるはずが無いと考えるのであれば、クラッシュコースの残りの章を見る必要はありません。しかし、これらのグラフがまだ成長を続けられると信じるのであれば、この先へ進んでみてください。

リスクを自分自身で評価し、完全に今日と異なる未来が起こる可能性に備えた行動を取ること以上に重要なことはありません。ここまで、クラッシュコースにおいて複利、お金とインフレーションというテーマを説明しました。みなさんはクラッシュコースの残りの章を最大限に活用する手段を手にしています。

まだもう少し、結びつけるべき点が残されています。先へ進みましょう



脚注

  1. 訳注: 第ニ代大統領ジョン・アダムスの夫人。夫ジョンとの書簡はアメリカ独立戦争当時の歴史資料として名高い []
  2. 訳注: 当時の紙幣の裏面が緑色であったことから。今日の米ドル札もグリーンバックと呼ばれる。 []