クラッシュコース 第九章 『アメリカのお金の短い歴史』

この文章は、クリス・マーテンソン氏による『クラッシュコース』第九章 『A Brief History of US Money』の翻訳です。 – 目次はこちら

現在のできごとを調べる前に、そこに至るまでの歴史を知っておかなければなりません。

このプレゼンでは、ごく簡単に近代アメリカ合衆国のお金の歴史を説明します。ここで説明したいことは、合衆国政府が危機のたびにルールを根本的に変えてきたということ、そして、現在のお金の制度は一般に考えられているよりは短い歴史しかない、ということです。

1907年の金融パニック[1]は、銀行家のJ・P・モルガンが「最後の貸し手」として問題を収束させたました。その後、銀行家は政府に対してオフィシャルな解決策の必要性を訴え始めました。最終的に1913年に成立した法律では、連邦政府が支援する金融カルテルとでも呼べるものが設立されました。その制度は”連邦準備制度”と呼ばれています。政府機関のようにも聞こえるでしょうが、実際は違います。連邦準備銀行の債券は、構成メンバーである銀行によって保有されており、合衆国政府や公的機関によって保有されるわけではないからです。この状態は今日まで続いています。
連邦準備制度と呼ばれているものは、実際のところは連邦政府によって支援された複数の銀行のカルテルであり、お金を貸し付け出現させる資格を政府から与えられたにすぎないのです。

1930年代に、連邦準備銀行が引き起こした投機バブルが崩壊し、多数の銀行が破綻しました。結果として、マネーサプライは3年間で3分の1にまで縮小しました。最後の貸し手として公式に認定されていたにもかかわらず、連邦準備制度は銀行システムの破滅的な崩壊を食い止めることができなかったのです。

1933年、就任直後のフランクリン・D・ルーズベルト大統領は、最も過激な手法でマネーサプライの減少に対抗することを決定しました。マネーサプライの増加を実現するために、ルーズベルト大統領は私的に保有されていた全ての金を没収し、ただちにUSドルの価値を下げたのです。金没収の以前、金1オンス[2] の価格はだいたい21ドルであったのに、その後1オンス35ドルにまで引き上げられました。またその直後、政府の契約上の義務、たとえば金で支払われる債券といったものは最高裁判所の許可を得て無効化されました。この例は、危機の際に政府がルールを破り、自分自身で定めた法律を犯すことさえあると証明しています。

押収された金は、最終的には連邦準備銀行かIMFの金庫に入れられたか、連邦準備銀行の「帳簿上の」資産となりました。総計110億ドルが、国内の2億6100万オンスの金と交換で支払われました。つまり、当時地上で最も力を持ち、最も豊かな国における金供給の完全な支配権は、真空中から印刷された110億ドルのドルと交換され、そして、連邦準備銀行は保管のための苦労を背負い込むことになりました。つまり、あなたは70ポンドの金塊を頭に乗せようとしたことがありますか?

いずれにせよ、恐慌と戦争による混乱を終息させ、世界経済の復興の基礎を再建するため、ニューハンプシャー州ブレトンウッズで、1944年、連合国の主要国が出席する国際会議が開かれました。当時、合衆国経済は世界経済のほぼ半分の規模を占めていたため、アメリカドルが国際的な準備通貨となりました。全ての通貨はドルに対して固定のレートで交換され、そしてドルは金と交換可能でした。レートは金1オンスあたり35ドルです。

ブレトンウッズ体制が戦後の繁栄と急速な経済的復興を先導したことは確かですが、しかしブレトンウッズ体制には欠陥がありました。協定の中に、連邦準備銀行によるマネーサプライの拡大を制限する項目が何もなかったのです。これによって、ドルの価値を裏付ける金は次第に減少していきました。つまり、全てのドルの価値を裏付けるために必要な量の金が不足していったのです。

その当時、ベトナム戦争が激化していくにつれて、アメリカは財政赤字におちいり、ドル紙幣を世界中に溢れかえらせたのです。シャルル・ドゴール政権下のフランスは、アメリカの財政赤字によってブレトンウッズ協定における金ドル交換レートを維持できなくなるのではないかと疑いを持ち、たびたび余分なドルを金と交換しています。

フランスが余剰のドルを金に交換していくにつれて、合衆国財務省の金備蓄量は危険なまでに減少してしまいました。ついに、1971年8月15日、ニクソン大統領はラジオでフォース・マジュール[3] を宣言し、「金の窓を閉ざす」、つまりドルの金兌換を終えることを宣言しました。金兌換の停止は多くの政府が戦時に行なってきたことであり、合衆国もこのパターンに従っています。しかしこの時は、アメリカの決定は全世界に影響を与えました。なぜなら、ドルの金兌換停止はブレトンウッズ体制の基盤を破壊してしまったからです。

金の裏付けがなくなったことにより、ドル紙幣の発行高に対するいかなるハードな、物理的限界も存在しなくなりました。

これまでに、全てのドルは借金によって裏付けされていると学んできました。では、金の総量という外部からの物理的な制限が取り除かれた合衆国の負債額は、この後どうなるでしょうか? わかりますよね。

このグラフは1949年から2004年までの連邦政府の負債額です。連邦政府の負債額のグラフも、これまでの指数的に増加するグラフと似た形をしていることに注意してください。しかし特筆するべきことは、ニクソンが金の窓を閉めたすぐ後、このグラフが「曲がり角」を曲がったということです。つまり、経済制度においてわずかに残っていた物理的制約の痕跡が、ニクソンによって取り除かれた時に、です。もう一つ、近年の負債水準がどれほどの速度で上昇しているかに注意してください。ここ数年、全歴史を通じて、最高最速で連邦政府負債が積み上げられています。負債の原因は、この国で試みられている、過去に例の無い実験によるものです。つまり、2つの対外戦争と減税を同時に行うという実験です。

急速な負債の累積は、全く不思議なことではありません。むしろ、金兌換の停止から完全に予測できる帰結です。この状況はどれほどの期間継続できるでしょうか? 不幸なことに、「海外の債権者が許す限り」という以外に適切な答えはありません。

2つ目の予想可能な、負債に関係した結果は、社会全体を循環するお金の総量に関するものです。思い出してください。全てのお金は借金を通して存在するのでした。ですから、連邦政府の負債のグラフを見れば、次の1959年から2007年までのアメリカ国内のお金の量のグラフを想像できますよね。このグラフから最初に分かることは、アメリカが最初の1兆ドルのマネーストックを創り出すまでには、最初の清教徒たちの到着[4] から1973年まで、実に300年以上が必要だったということです。

全ての道、全ての橋、そして全ての町の全ての交差点にある全ての市場。全ての船と全ての建物、これら全てを作るために、最初の入植から1973年の間の1兆ドルのマネーストックを必要としました。

では、一番最近の1兆ドルは? なんと4.5ヶ月で増加しています。私からみなさんへ質問です。「アメリカが4週間で1兆ドルを創造するようになった時、生活はどんなものになるだろうか? 4日ごとではどうだろう? 4時間ごと? 4分? ハイパーインフレーションとドルの破滅、さらに言うなら、アメリカ国家の破綻が起きないとしたら、どこで止まるのだろうか?」

これらのできごとを年表にしてみます。まず、連邦準備制度は、1913年に成立したことが分かります。次に、たった20年後の1933年、アメリカは破産状態となり、国中の金供給を法律の強制のもとで連邦準備銀行に転用しました。その11年後、ドルは世界の準備通貨の地位に祭り上げられました。そして、当時存在した金によるドルの価値の明示的な裏付けは、その27年後ニクソン大統領によって一方的に取り去られたのです。

実際、現在の不換紙幣による国際貨幣制度は37年の歴史しかありません。事前に計画されたものでもなく、ただ単に危機の中から姿を表したものです。金に交換できないUSドルは、ただ利便性の問題から国際準備通貨としての地位を保っていますが、しかし、国際通貨としてのドルの役割をこの先保証したり要求したりするどんな根拠もありません。

アメリカだけが、国際通貨という特権を使い、借金をしてドル紙幣を印刷し貿易赤字を支払うことができます。しかし、国際通貨の特権を乱用しすぎて失ったときには、アメリカは輸入額より多くの輸出をするか、またはもっと深刻な負債を負うか、そのどちらかを強いられます。

これらの措置がドルの価値の継続的な下落を引き起こすとしたら、アメリカ以外の国も、ドルの下落速度に追随して自国通貨の競争力を保ち続けるために、通貨の価値切り下げ競争へと駆り立てられるでしょう。

この状況がインフレーションを起こす可能性は高いと考えられます。そこで、次の章ではインフレについて考えます。



脚注

  1. 訳注: 1907年に米国で起きた金融危機を指す。本文中で説明されている通り、現在の連邦準備制度が成立する遠因となった。 []
  2. 訳注: 正確にはトロイオンス。貴金属の重量単位としては31.1035g []
  3. 訳注: 不可抗力による契約不履行 []
  4. 訳注: 1620年 []