クラッシュコース 第二十章 Part 1 『何をするべきか』

この文章は、クリス・マーテンソン氏による『クラッシュコース』第二十章 『What Should I do?』の翻訳です。 – 目次はこちら

本章は、これまでの全ての章の最後のまとめです。この章では「私は何をするべきなのか?」という質問に答えようと思います。
問題を言い換えましょう。「私たちは何をするべきなのだろうか?」 将来の社会変化は、おそらく個人の力だけでは解決できるものではないからです。

第20章は、単なるTODOリストではありません。この章は私の目的、つまり「全ての人々が、自身の行動の責任を引き受けられる人間となる」という目的を反映しています。

20章では、未来へ向けた行動のフレームワークを提供します。わたしたちが「可能」なことの全てを体系的に整理して、「する」ことの優先順位付きリストにする方法です。個人としてのリスク軽減策を考えていきます。
現在私は『クラッシュコース』の続編のビデオを企画しています。国家と世界レベルでの解決策については、そちらで詳細に説明するつもりです。

オーケイ、みなさんは『クラッシュコース』の全てをご覧になったことでしょう。
最初に、経済、エネルギー、そして環境問題の間にどのような相互関係があるのかを明らかにしました。
特に、成長を必要とする経済モデルと、ピークオイルや減耗した資源など、物理的世界との間に大きなミスマッチが存在していると理解できたと思います。
3つの問題の1つだけを解決することはおそらく不可能です。
なぜなら、単純な解決策は他の”E”において新たな問題を引き起こしてしまうからです。
現状維持ではない、真の解決策が必要なのです。

つまりは、人類全体の未来の進路は、単なる過去の延長ではない可能性が非常に高いということです。
私たち個人にとっては、未来は現在と大きく異なったものになると受け入れることが必要となるでしょう。

私は、未来はまったくのランダムなもの、例えて言うならサイコロの目のようなものではないと信じています。ですから、今すぐ行動すれば将来の混乱を最小化できます。

ある意味では、私は現在この最終章を書いていることを喜ばしく思っています。というのも、2008年秋に巨大な経済的混乱が生じ、それによって経済の進行方向を正確に見通すことができるようになったからです。

何兆ドルという救済資金が世界中の政府によって銀行へ投入されましたが、そのほぼ全ては現状維持のためだけに浪費されました。

しかし、銀行システムの救済では、現代の問題、情勢をわずかばかりも変化させることはできません。それどころか、問題を悪化させる可能性すらあります。
アメリカの政府高官たちが、「過去の制度」を維持するべく何兆も借金を増加させているということ、それはすなわち、彼らが責任を放棄しつつあり、一般市民とコミュニティに、3つのEの困難に直面する責任を押し付けているということを意味しています。

「何をするべきか」を記述する上での一番の問題は、個人個人の信念は完全に異なっているということです。
経済情勢の将来に対する信念は、「ちょっとした成長の一次的停止」から「完全なブレイクダウン」までの広い幅があります。みなさん全員がこのどこかに位置付けられるでしょう。

そして、何を信じているかによって、取るべき行動もその緊急度も劇的に変化してしまいます。

そこで、行動のためのフレームワークから考え始めなければならないのです。

このアクション・フレームワークは、4つのステップを踏んで進んでいきます。
最初に、アクションを取るのだと決意する必要があります。
強いコミットメント(決意)が無ければ、継続して行動できませんから。
2つ目に、自分が今持っている資源や知識を確認しておきましょう。そして、ここで自分の強み、弱み、機会、脅威 (SWOT: Strength, Weakness, Oppotunities, Threats)を自己分析しておくことをおすすめします。
3つ目に、自分が可能なことの無限のリストを分類しなければなりません。
それから4つ目に、そのリストに対して優先順位を付けるのです。
可能なことの全てを実際に行うことはできないからです。
アクション・フレームワークは、この4ステップから成り立っています。

それでは、ステップ1から始めましょう。

最初に、先ほど説明したスペクトルをより詳細化してみます。将来起こりうる経済情勢の可能性の一つとして、まずは「現状維持」という可能性を考えます。つまり、全ての重大なリスクがある程度すぐに消滅してしまうというものです。次は、「長期の景気後退」とそれに伴う問題が発生する可能性です。さらに深刻なものとして、「金融システムの崩壊」を次に位置付けます。可能性の問題としては、「政府の崩壊」を考えることもできるでしょう。

未来の経済情勢は、このスペクトルのどこかに位置すると考えられます。問題は、正確にどこに向かうのか事前に分からないことです。ここで重要なのは、現時点では全ての可能性を除外することはできないということです。上記のどの結果も、確率がゼロだと見なせません。そこで、全ての結果に対して重み付けをする必要があります。

ここで、上記の予想一つを使ってちょっとした思考ゲームをしてみます。そして、そこからどう取っ掛りを創ればよいかを検討してみます。事例として、三番目の「金融システムの崩壊」を使用します。

金融危機が発生する可能性や、次の金融危機がいかなる形を取るかについては今は考えません。ここでは、真か偽であるかだけ、つまりは金融危機が発生するかしないかだけを考えます。『「真」と「偽」』という2つの分類で、全ての可能性をカバーできている、と考えられます。

表の下部には、危機に対して事前に準備をしているかしていないかを表現します。ここでも、可能性としては、金融危機の影響をやわらげるために準備をしているかしていないかのどちらかです。

それでは、両方が真だった場合にはどうなるでしょうか。つまり、金融危機が生じ、しかも準備をしていた場合には? おめでとうございます! スマイリーマークを描いておきましょう。あなたはベストな結果を得ることができました。

それでは、金融危機が発生せず、かつ準備をしていなかった場合はどうでしょうか? 再び、おめでとうございます。あなたはベストな結果を得ることができました。この2つの場合、結果としては本質的に同じであるため、意思決定のフレームワークからは排除しておきましょう。どちらの場合においても、その状況下で最高の結果を得ることができるため、この2つを比べて重要度を決めることにあまり意味がないからです。

それでは次の場合はどうでしょうか。金融危機が発生せず、かつ準備をしていた場合です。状況はどれくらい悪いものになるでしょうか? 表の中に、被害には何と書けばよいでしょう。そうですね… あなたはお金を失うかもしれません (たとえば、株式市場においてキャピタルゲインとして得られたかもしれない機会の喪失など)。また、時間も無駄になるでしょう。そしておそらく最悪の被害としては、自分がバカであるかのように感じることかもしれません。
ひどい状態ですね!

それでは、次の項目と比べてみましょう。つまり、金融危機が起こり、かつ準備をしていなかった場合を考えます。何が起こるでしょうか。まずは、あなたはたくさんの資産を失うでしょうし、時間も資源も少ない中で突然に大きな調整を迫られるでしょう。そして、懸念はあったのに何も対策を取らなかった、という後悔と伴に暮らしていくハメになるかもしれません。2の四角の中にまだ書き足したいことがあるかもしれません。もし必要であれば自身でも書いてみてほしいのですが、しかし今は話を先へ進めます。

今しなければならないのは、2つの四角を比べることです。つまり、左下と右上です。この両者を比べた場合、どちらがより悪いでしょうか?どちらかを選ばなければならないとしたら、どうしますか? 我々は皆、違う考え方を持つ人間です。ですが、私は準備もしていないのにたまたまうまくいった、という状況を許せないタイプの人間です。それよりは、準備をしていたのに予想が外れてしまったという状況のほうがまだ許せます。しかし、これは単に私の場合です。あなたがどちらの場合に重きを置くかは、あなたしか分からないことです。しかし、もしあなたが右上の四角の場所に居るのであれば、質問をしなければならないでしょう。「どうしてアクションを取ることができないのでしょうか?」

この方法を若干変更し、「真か偽か」だけよりも微妙な差異を捉えられるよう改善してみましょう。先ほどの金融危機のスペクトル、「軽微な影響」から「完全な崩壊と停止」までの例に戻って考えてみます。全ての人が、それぞれの事象が発生する確率に対して異なる想定をしていると考えられます。

ある人は、非常に悪い状況が発生する可能性はごく微小だと考えており、また別の人は正反対の考えを持っているかもしれません。しかし、ある重要な観点においては、この2者は価値観を共有していると言えます。つまり、どちらも状況が悪化する可能性がゼロではないと考えているということです。起こりうる結果が重大なものであるならば、思慮深い大人ならばリスクに備えた行動を取らなければなりません。たとえ、確率がごく小さいものだったとしても。

あなたがリスクを懸念しており、また準備をしないことで生じるコストが、準備のためのコストを大きく上回るのであれば、準備のための行動を取るのは理にかなっていると言えるでしょう。

オーケイ、それではあなたは行動を取ると決意したとしましょう。困難なポイントはどこでしょうか。そこで、1時間程度使って自己評価を行っておくことをオススメします。以下で説明するのは、我々のサイトからダウンロードできるものの概要です。

評価は、主に3つの分野から成り立っています。経済的な評価は、現在と将来の支出、現在と将来の収入、有形無形の財産、そして今挙げた財産を利用することに関わる問題なども考慮に入れなければなりません。

次に、私が「基盤」と呼んでいる分野も、経済の分野と同様に、あるいはそれ以上に重要です。最後に、食事や住居といった身体的な欲求も検討する必要があります。

自己評価をすれば、私たちの生活はかなり大量のものに依存しており、しかも私たちはそれを当然だと思いこんでいる、と気付くと思います。

自己評価を終えたら、自分の強みと弱みがどこにあるのかについて、ある程度正確に理解ができているはずです。つまり、自己評価はスタート地点なのです。自分が今居る位置と世界との関係を表すものとなります。

さて、それでは外の世界へ眼を向けて、全てのリスクと課題に対し優先順位付けをしましょう。その結果を自己評価と対応させます。

次の3つの観点から、様々なイベントとリスクを分類してみましょう。つまり、緊迫性 (リスクやイベントがどれほど差し迫っているか)、重大性 (重大なことなのか、ささいなことなのか)、と可能性 (イベントが発生する確率と同義) です。

まず「緊迫性」の観点を理解するために、年表上で複数のグループにまとめた出来事を考えてみます。最初のグループには、すぐ直後から2年後までに発生すると予測している出来事を書いています。ここには住宅バブルの破裂、クレジットバブルの破裂、そして銀行制度のシステム的危機の可能性が含まれます。それより少し先には、原油供給不足、ベビーブーマー世代の退職問題、高インフレの発生の可能性を書いておきます。更に先には、国家の債務不履行、不換通貨の終焉、新しい経済体制の出現の可能性すらあるかもしれません。

私はこれら全てに同時に対処することはできないので、主に直近のグループのみに焦点を当てることにします。再度の注意ですが、あたなが作成した図ではそれぞれのグループに全く違うイベントが入っているかもしれませんし、ご自身の場合ではそれを使ってください。これらは、単に説明のために使っているものです。説明のために、ここでは「銀行制度のシステム的危機」を取り上げます。

次に、「重大性」と「可能性」から、ものごとを分析します。保険の概念を知っているなら、このプロセスは既に理解できているはずです。住宅火災保険を考えてみましょう。火事は取り立てて頻繁に発生するものではありません。しかし、火事の影響はとても破壊的です。そこで、賢明な人であれば可能性と重大性とを同時に考慮し、火災保険へ加入するでしょう。

そこで、同じことを他のできごとについても適用してみます。

2×2のマトリックスを作成します。そして、1つの軸にはイベントの「可能性」を「高い」か「低い」かで分類し、もう1つの軸には重大性を「高い」と「低い」で分類します。

まず、重大性が低く、可能性が低いものについては、時間や他の資源を割くべきではありません。ここにあるものについては、心配する意味がないのです。

重大性が高く、可能性も高いものは、決定的に重要です。我々は常にこの問題を考え、最初に対処しなければなりません。

重大性が高いにもかかわらず可能性が低いものについては、多少の検討を必要としますが、しかし概して、普通の頻度で考えれば良いでしょう。

その次に、重大性が小さく可能性が高いものは、時々考えれば良いでしょう。特に、簡単で素早い修復方法がある場合には、起こってから考えても良いでしょう。

そこで、高い-高い、低い-高い、高い-低い、の3つのエリアが私が考える必要のあるイベントが存在する場所です。みなさんがこの図を描く際には、年齢、収入、家庭環境や他の事情によって、図は変化することに注意してください。

私は、今後2年以内にシステム的な経済危機が発生する可能性は50%程度だと考えているため、これを高重大性/高可能性の位置に配置します。つまり、この出来事について深く考慮する必要があるということです。

それでは、この事例を使用して続けて考えていきましょう。この2×2マトリックスを心に留めたまま、経済システムの崩壊に関するリスクに関して次の表で検討します。

最初に、広範囲に渡る銀行の閉鎖については、可能性を「高い」、重大性も「高い」と評価します。そこで、この出来事は「高い」ランクに位置付けられます。

次は、自分の預金口座がある銀行の閉鎖についても、同様の結論に達します。しかし、食料流通の停止に対しては、全体的なリスクを「中程度」と評価し、またドル制度の崩壊についても「中」とします。更に、政府支出の停止のリスクは「低」とします。

ここで取り上げたのは、ごく一部だけです。他の出来事もリストに追加できますし、また自身で分析される際には是非そうしてください。

今伝えたいことは、これまでクラッシュコースで学んできたシナリオに対して、可能性と影響を評価する方法です。

考え方の似ている友達と一緒に、この課題に取り組むことをオススメします。一人では見落していたことを発見できるかもしれませんし、より楽しんで、また速く完成させることができます。

さて、リストが完成したとします。ここまでに、各自の評価に従って緊迫性、可能性と重大性で、将来発生し得る出来事を分類してきました。確実に、みなさんの作ったリストは長すぎて、どこから手を付けたら良いのか分からないと思います。

そこで、優先順位付けを行います。まず最初に、このリストは「できる、またはすること」と「できないこと、しないこと」の2つにすぐに分割できます。

「できること、やること」の中にあるものについて、更に3段階の行動順序をつけます。すなわち、第一段階は必ず第二段階のものより先に始め、先に完了する必要があります。そして、第三段階はさらにその後になります。こうすれば、リストはより扱いやすくなり、どこから始めるかがより簡単に分かるでしょう。「できないこと、しないこと」については、それができる人を見つける (ここでコミュニティに関する検討が始まります)、あるいは、それらの問題を放置しておいてもう検討を止めるなどの選択肢がありえます。

本題に戻ります。優先順位付けをしたリストを更に分類したことで、リストはある程度まで短くなっているでしょう。しかし、おそらく一度に開始するにはまだ長すぎるだろうと思います。そこで、三段階のシステムを使って、最も簡単で、コストが低く、価値の高いタスクを見つけて、取り組むべきなのです。

それでは、第一段階には何が来るでしょうか。ここには、外部からの補助を必要とせず、また実質的にライフスタイルを変化させなくても済む、簡単で、速く、安価なものです。今回の例では、例えば、紙幣を銀行から引き出して手元に保持しておけば、ATMが「しばらく休み」になった際に購買力を保ち続ける猶予を得られるでしょう。これは簡単で、すぐ実行できます。これを実施したことに対する最大のリスクは、後でちょっと間抜けな気分を味わうことくらいで、何も起こらなければお金を再度銀行に預金すればそれで済みます。また、全ての銀行が閉鎖した場合でなく、いくつかの銀行が閉鎖した時のために、預金を分散させるべきだと考えるかもしれません。最後に、アルゼンチンの人々が銀行の閉鎖の際に経験したような 購買力の喪失に備えるべきだと考えるかもしれません。金 (きん) は、銀行システムに完全に依存せずに、お金に似た価値を維持することができる数少ない手段です。そして、これらのことは第二段階のリストを考え始める前に全て済ませておかなければなりません。

そして、第二段階のタスクに進みます。第二段階は、みなさんの自己評価と比較して大きなギャップが存在しており、時間、お金、エネルギー上で大きな投資を伴なうものです。例えば、経済危機の際に必需品を手に入れられるように保存プログラムを実現することや、自身のコミュニティで食料を生産できる方法を考えること、あるいは、より大きな範囲で隣人やローカルコミュニティと協力することが挙げられます。

これらのことが終わったら、今後は第三段階を、つまりより困難なタスクを考える時です。第三段階には、人生における巨大な変化や決断が含まれます。例えば、生活する場所を変えることや、新しいスキルを身に付けること、転職などです。ポイントは、第一と第二段階を進めるまでは、これらの困難なタスクに頭を悩まし時間やエネルギーを費やしたいという欲求に抵抗しなければならないということです。

もし、以上のことがとてつもなく重い課題だと感じ、本章がもっと単純で指示的な「何をするべきか」というリストであればいいのにと望んでいるのであれば、私から言えることは、将来人類が直面する重大な問題には、簡単な答えが存在しないだろう、ということだけです。この章は、すぐにでも1つの学習コースになりえるでしょう。そして、私のサイトで今後公開するビデオでは、これらの疑問に対してもっと詳細に検討していきたいと考えています。

私がクラッシュコース全体を通してずっと訴えてきたことは、「次の20年間は、過去20年間とは違ったものになるだろう」ということです。

特に、我々全員が金融危機に備えなければならないと考えています。金融危機が100%起きると予測しているからではなく、金融危機が100%起こらないと考えることはできないからです。賢明な大人であれば、リスクを特定し、管理しなければなりません。

(続く)

クラッシュコース 第十九章 『未来の衝撃』

この文章は、クリス・マーテンソン氏による『クラッシュコース』第十九章 『Future Shock』の翻訳です。 – 目次はこちら

この章ではクラッシュコースで学んできたこと全てをまとめます。
複数の問題の間に存在する関連性への、包括的な視点が必要です。関連性を考慮しなければ、解決策は永遠に手に入れられません。

それでは、重要なトレンドをもう一度振り返ってみましょう。これらの流れは、ある一定範囲の未来へと収束しつつあるように見えます。

最初に、お金とは何かを理解することから始めました。お金は借金によって、利子付きで出現するということを学びました。これによって、毎年毎年、信用、つまりお金の量を一定の時間に一定の割合で増加させる強い圧力が働きます。これは指数的成長の定義そのものです。実際にお金の量のグラフや、インフレ率のグラフにおいて指数的成長が観察できます。

指数的成長のダイナミクスの次には、負債に関する統計を調査しました。そこでは、借金とは未来に対する対する要求であるということ、また、合衆国の負債は過去全ての基準を上回っていることを説明しました。借金の増加傾向と類似していますが、しかし別のトレンドとして、定常的な貯蓄量の減少が同時期に進んでいます。以上の原因により、記録的に高い水準の負債と、記録的な低水準の貯蓄という現象が同時に表われています。

また、貯蓄の失敗はアメリカ社会の全体に及んでおり、その中にはインフラ投資への絶望的な失敗も含まれていることが分かります。

次に資産、主には住宅が、今や崩壊したバブルの状態にあったという事実を学びました。そして、その解決までには何年もかかるだろうということも。クレジットバブルが崩壊したとき、財政パニックを引き起こし、多くの資本が破壊されたように見えます。実際のところ、それは正しくありません。次の引用句がそれを上手く表現しています。

金融パニックは、資本を破壊しない。
パニックは、それ以前に破壊されているべき非生産的な裏切りと、そうでないものの区別を明らかにするだけである。

ジョン・スチュアート・ミル (政治経済学者; 1806-1873)

つまり、バブル崩壊の影響は、政府が簡単に修復できるようなものではないということです。なぜならば、更なるダメージを喰い止める試みは、そもそもからして間違ったものだからです。ダメージは既に発生しています。あまりに多すぎる住宅、そしてあまりに多すぎるショッピングモールが、あまりに高すぎる価格で販売され、あまりに多すぎる商品が借金を使って購入されていたからなのです。全てはもう終わっています。残った問題は、誰がこのツケを払うかを決めることだけです。そして、現在政府機関に勤務する人たちは、一般市民がそのツケを払うべきだと主張しています。つまり、我々納税者です。

次に、アメリカ政府の極めて深刻な財政赤字について学びました。この問題は、人口動態に起因しています。人口問題自体は、どのような政策、法律や楽観論によっても解決できません。これは、単なる事実です。不愉快な状況ではありますが、重力の法則と同じようにやはり事実なのです。

更には、ベビーブーマー世代の人々が「豊」とみなしている資産 (債券・証券、住居) は、将来、全てを誰かに売却して「価値」を取り出す必要があるものだということを学びました。そこで、ベビーブーマー世代が資産を購入する若い世代は、ベビーブーマー世代より人口が減少しています。売り手が買い手の数を上回ると、価格は低下します。そのため、見かけ上存在している資産の価値を全て手に入れることは不可能です。

また、社会全体の経済活動について、政府発表の経済統計は組織的に歪められておりもはや現実の経済的世界を反映していません。もし、誤ったデータを用いて劣った判断を下しているとしたら、現在困難な状況におちいっているのは何ら驚くべきことではありません。偽りのない客観的な統計を取り戻さない限り、戦略的かつ有意義な未来像を描くことはできないのです。

そして、エネルギーは全ての経済的活動の源であると学びました。特に石油は、現代社会における最重要エネルギー源です。現在のあらゆる経済システムは、エネルギー供給が無限に成長できるという仮定を元にして構成されています。しかし、これは簡単に反論できる仮定です。

個々の油田は生産量のピークを迎えます。それは複数の油田の産出量合計も同様です。つまりは、ピークオイルは理論上の仮説などではなく、油田が減耗していく過程を表現した事実なのです。そこで、永遠の指数的成長を強制する貨幣制度と、現在の主要なエネルギー源が既にピークを迎えた(あるいはもうすぐピークを迎える)という事実の間に存在する圧力について学びました。どういう理由か分かりませんが、アメリカは安い石油が無くなった未来に向けた投資を始めてすらいません。今のところは”プランB”は存在しないのです。

最後に、環境に言及しました。社会が依存している自然資源や自然環境は、指数関数的人な口増による指数関数的な開発による危機に晒されています。そして、資源の究極的枯渇と環境破壊は危機的なスピードで加速しています。自然システムへの小さな変化、たとえば降雨分布の変化ですら、巨大で予想外な緊急のコスト増を引き起こすということを学びました。

私は、現代社会は既にこれらの問題に直面しているか、遠くない将来に直面するだろうと考えています。全ての問題をまとめると、大きな懸念が生じます。

これらの問題を年表上に配置してみましょう。まず、住宅バブル崩壊は既に発生しました。この時期は、ベビーブーマー世代が退職を始める時期と合致していました。同時に、ピークオイルによって石油需要は供給を上回り、社会の方向修正のために膨大な出費を必要としています。更には、資源減耗と気候変動による予期不能のコストも、そう遠くない未来に増加していくと考えられます。これらの状況を取り巻いているのは、国家的な貯蓄と投資の失敗、そして空前の規模の負債であり、私たちの選択肢を狭めています。

この年表は2008年から2020年までを描いたものです。これを見れば、本当に大きな問題がごく短期間に集中しつつある、ということが分かります。

そこで、質問です。「上記の問題に対処するためのお金はどこにあるのだろう? 私たちの貯金は減っていて、借金額はもはや未知の領域に達しているのに。」

どれか1つだけでも、経済への重荷になるでしょうし、もし2つが同時に起これば破壊的にものになるでしょう。それでは、3つやそれ以上の問題が同時に発生したとしたら? 結果としてアメリカ経済が破綻するだろうと予測するのは難しくありませんし、もしかするとドルの富の貯蔵機能は完全に失なわれるかもしれません。

ベビーブーマーの退職者のために、何兆ドルが必要でしょうか?
輸送インフラをピークオイルに合わせて設計し直すためには、何兆ドルが必要なのでしょうか?
年金や福祉給付計画の財源不足を埋め合わせる何十兆ドルという額のお金は、どこから生じるのでしょうか?
過去に無い規模の負債を抱えたまま、年金や給付計画の契約を果たすにはどうしたら良いのでしょうか?
資産バブル崩壊による被害を修復するお金はどこにあるのでしょうか?
食料や鉱物価格は、どれほど上昇するのでしょうか? 今後、石油生産がピークを迎えて、ごくわずかな資源を更に多くの人が大量に必要とするようになった際には?

これらの重大なトレンド、あるいは危機に対処するためには、何年も、何十年も前からの計画が必要です。しかし、危機がすぐ目の前に存在しているというのに、国家的な議論や計画は全く存在していません。

一日が過ぎるごとに、私たちは貴重な時間を浪費しています。問題はより大きく、高コストなものに成長していきます。いずれ、私たちの手に負えない規模になるかもしれません。

今選ぶべき戦略は時間稼ぎではありません。時間稼ぎは、破滅的な行動であると証明されるでしょう。

成熟した大人であれば、複雑な問題をマネジメントし、将来の計画を立てるべきです。私の意見では、数少ない例外を除くと、現在アメリカの政治家や企業経営者たちは、このどちらも行なっていません。私たちがこの状況を変化させる必要があります。

「自分のケーキを食べてしまったとしても、どこかから借りてくれば良いじゃないか。」そんな未熟な考え方を持てる時期は、もう過ぎてしまいました。

シンプルに言えば、自然と財政の予算の範囲内での生活に戻るべき時期なのです。優先順位を定め、予算を定め、その両方を守らなければなりません。

では、あなたは? 将来への道は、決して真っ直ぐなものではないという可能性を受け入れなければなりません。もし、まだそれを受け入れてないのであれば。予期しえない数回の紆余曲折が存在するかもしれません。みなさんは、人類の歴史において最も面白い点に、巨大な変化が起こるかもしれない地点に居合せているのです。

一つの時代の転換は、恐怖であるかもしれないし、面白いものになるかもしれません。その選択は、あなた自身にかかっています。

それでは、私たちは何をすればよいのでしょうか? 今現在できることは何で、どんなステップを踏むべきなのでしょう?

それでは、クラッシュコースの最後の章へ進みましょう。
ご清聴ありがとうございました。

クラッシュコース 第十八章『環境』

この文章は、クリス・マーテンソン氏による『クラッシュコース』第十八章 『Environmental Data』の翻訳です。 – 目次はこちら

お疲れさまです! データを扱う章はここで終わります。残りの2章は、まとめと結論です。

まず最初に、『環境』と題したこの章では、地球温暖化を取り上げるのではないと言っておきましょう。温暖化よりも直接的な影響のある、複雑ではない、そして緊迫した問題に焦点を当てます。

クラッシュコースの最大の目的は、永続的成長への信仰を強いる指数的なお金の制度と、有限な惑星上での生活との間に、巨大な断絶が存在していると示すことにあります。この章を見れば、この惑星全体は私たちが考えているよりずっと小さいと理解してもらえると思います。

そのほとんどの理由は、この曲線に表されています。 人口です。

地球上の全人類の人口は、1960年に30億人に達しました。そして、この先42年間であと30億人増加すると予測されています。最初に人口が30億人に到達するまでには、先史時代から1960年までを要しているのですが、その後たった40年程度でさらに30億人増加しています。

フェンウェイ球場の例を覚えていますか? 44分経過してもたった3%の水位だったのに、最後のわずか5分で残り97%が水没してしまうのでした。 同様のダイナミクスがここでも働きます。

あと40年の間に人口が50%増加することの意味を考える前に、今でも状況はかなり悪くなっていると言っておきたいと思います。2008年、世界人口は昨年から7000万人増加したとされています。7000万人です。分かりやすく言うと、7000万という人数は、アメリカの人口トップ10の都市の合計人口の3倍に匹敵します。全世界の人口成長は、アメリカのトップ10の都市人口の3倍に達するのです。しかも、毎年毎年、今後40年に渡ってこれが続きます。

人口の増加は、資源需要の増加を意味します。大量のアルミニウム、大量の食料、大量の消費財をさらに多くの場所へ。そして、大量の自動車が必要になります。今までより、もっともっと多くの自動車が。

次のような誤解があるかもしれません。人口増加は大した問題にはないだろう。今後増加する人間は、おそらく中国かどこかの汚ない掘っ立て小屋に住んでいて、ロバやら籐のかごを使っているだろうから。

世界中で最速の成長を遂げている都市の写真をお見せしましょう。あらゆる観点から見て、これらの都市は欧米の年より新しく近代的です。近代的な都市は、世界中全ての人が熱望するものなのです。

人々の願望は世界中どこでも同じです。人間は皆、明るく太陽が照る都市に住むことを望みます。そして、素敵な町で素敵な商品をショッピングしたいと考えています。

中国の総人口は13億から16億人の間だと言われています。合衆国の3億人は、中国人にとっては「統計上の誤差」だとみなされてしまうかもしれません。実際、合衆国トップ5の都市の人口を合計しても、中国最大の都市、上海の住民数に及びません。

ですが、話を戻します。今後40年間で、地球上の人口はさらに30億人増加するという話です。

人間も含めた全ての生物は、入手が容易で良質な資源から利用を始めるという特徴があります。人類が地球資源を利用する際には、最も豊かな土壌、一番大きな樹木、そして魚類の豊富な水域から手を着けてきました。つまり、人類は最高級の資源から開発を始めてきたということです。

ここで、石油は有限の天然資源であることを思い出してください。石油は有限であるので、個々の油田も複数の油田の採掘量の合計も、ベル曲線に似た典型的な採掘量を示すのでした。

この理論を一般化して、資源採掘量の一般法則を導くことができます。人間は最も近くに存在し、豊富で、アクセスが容易な最高級の資源から利用し始めます。そして、次第に利用が困難で、劣った、凝縮されていない遠方の資源を開発するようになります。つまり、時間を経るごとに資源を得るために必要なエネルギーは増加し、従ってコストも上昇します。この結論について、全く異論の余地はありません。

例を挙げます。アメリカ人の先祖が最初にこの大陸にやって来たとき、目を見張るような素晴しい光景が広がっていました。巨大な銅塊が転がっていたのです。すぐに巨大銅塊は枯渇し、その次にはより小さな銅塊を、さらには純度の高い銅鉱石を利用し始めました。それでは現在では?

現在アメリカでは、銅はユタ州のビンガム (Bingham) 鉱床渓谷で採掘されています。採掘穴は幅2.5マイル、深さ3.25マイルにも達しています。つけ加えておくなら、もともとはこの穴は山だったのです。現在産出されている鉱石の銅濃度は0.2%です。もし、現在でも巨大銅塊が存在していたとしたら、わざわざこんな手間の掛かる採掘方法を取る必要があるでしょうか? あり得ません。

それでは、もう少し詳しく調べてみましょう。道路を走っているトラックの写真を見てください。このトラックは石油を燃料としています。正確に言うなら、ディーゼル用重油です。もし、トラック用燃料が無くなったとしたら、何を使って鉱石を運搬すれば良いのでしょう? ロバでしょうか? このトラックの運搬能力は1台あたり255トンです。1匹のロバが運べる重量を、150ポンド (約70kg) だとしてみましょう。すると、トラック1台あたりの輸送能力は3400匹のロバに匹敵します。
とても多いロバです!

ここでのポイントは、幅2マイル、深さ3マイルにも及ぶ穴は、現代文明におけるエネルギー消費の壮大さを示したものだということです。エネルギーが不足し始めた時には、こんな巨大な穴を掘り続けるのは不可能と考えられます。つまり、エネルギーが不足した際には銅も不足します。

さて、ここからが本題です。何らかの鉱物や金属を採掘するために必要なエネルギー量や資金額は、鉱石のグレードによって決まります。鉱石のグレードは、ある鉱石のうちの何パーセントが対象物質で構成されているかによって測定されます。だから、10%の銅鉱石では、銅が10%、90%は不純物で構成されているということになります。ここで言う不純物とは、岩石や砂などです。目的の資源を得る際に、同時に採掘しなければならない不純物の量をグラフにすると、こんな曲線を描きます。この形をどこかで見たことがありますよね? そうです。指数関数のグラフです。

このグラフから、銅が0.2%含まれている鉱石を採掘する際、1kgの純銅を得るためには500kgの銅鉱石を採掘する必要があるということが分かります。0.2%という値を挙げたのは、ビンガム渓谷鉱山の現在の銅濃度だからです。なぜ採掘穴がこれほど巨大なものになるか、これで説明ができます。巨大なトラックが無ければ、これほどまでに純度の低い鉱石を採掘するのはおそらく不可能でしょう。つまり、私たちは、エネルギーとお金という対価を支払って、ベル曲線の右側の縁に留まっているということです。

現代社会が低グレードの鉱石を採掘している理由は何でしょうか? 難しい課題にチャレンジしたいと考えているからなのでしょうか?

違います。人類は既に、他の良質な鉱物資源を全て採掘し尽してしまったからなのです。低グレードの鉱石採掘は、それが残っている選択肢の中でベストなものなのです。たった200年の間に、もっと質の高い資源が枯渇してしまったからです。

他の例として、石炭を取り上げます。石炭生産量を重量で測定すると、1940年代以来定常的に2%の成長を続けています。このような定常的な指数的成長は、現代経済の石炭需要の増加と同様のペースで進んでいます。近年、ブッシュ大統領は、アメリカには250年分の石炭埋蔵量があると述べていました。つまり、この赤い矢印は今後250年成長を続けられると言われています。つまりは、石炭には差し迫った枯渇の危険は無く、大量の埋蔵石炭が採掘されるのを待っているということです。

しかし、この議論には不備があります。石炭には何種類かの質のグレードがあるのです。最高級の石炭は、黒く輝く、硬い無煙炭 (anthracite) と呼ばれています。水分をあまり含んでおらず、燃焼時には大量の熱を発します。そして、鉄鋼業において高い価値を持っています。次に質が高いのは瀝青炭 (bituminous coal) です。重量あたりの熱量は無煙炭にやや劣ります。そして、次は亜瀝青炭 (subbituminous coal) です。最低グレードの石炭は、亜炭 (褐炭; lignite) と呼ばれています。亜炭は低い熱量しか持たず、水分を多量に含んでおり、燃料としてはそれほど有用ではありません。亜炭より下のグレードに来るのは、つまり、岩石です。岩石は亜炭よりも燃えにくいものです。

画面にアメリカ合衆国における無煙炭の採掘量を示します。低下傾向が分かりますか? アメリカで無煙炭の採掘量が減少している理由は、ほぼ全ての無煙炭が枯渇してしまったからです。何億年もの間に形成された無煙炭は、たった100年程度の間に消費されてしまいました。

そこで、アメリカでは次にグレードの高い石炭である瀝青炭を使うようになりました。ここでも瀝青炭の産出ピークは1990年となっています。これは、品質の良い石炭資源への需要が消失したことを意味しているのでしょうか? いいえ。単純に、瀝青炭が枯渇し始めているということを意味しています。当然、瀝青炭の次にはより低質の石炭、つまり、亜瀝青炭を使用する必要があります。前の2つの石炭とは異なり、亜瀝青炭の使用量はまだ減少を始めていません。また、最近では褐炭さえも使用され始めています。しかし、私は褐炭の使用量は亜瀝青炭の産出がピークを過ぎるまでは増加しないだろうと考えていますが。

さて、ここから本当に話が面白くなってきます。石炭の熱量、あるいは利用可能なエネルギー量は、石炭のグレードが下がるにつれて低下していくと説明したことを覚えていますか? 石炭産出の重量ではなく、石炭に含まれるエネルギー量の合計をグラフ化してみると、グラフの形は全く変化してしまいます。石炭重量は、明かに2%の上昇を示しているのに対して、総エネルギー量の上昇は停滞しており、過去9年間に渡って全く成長していません。現代社会はエネルギーとお金を費やして、より多量の石炭を採掘しているのに、得られるエネルギーの見返りはどんどん減少しています。最初の図に戻りましょう。私たちは、この曲線のどこに位置していると思いますか? 最高の時代は、まだ未来にあるのでしょうか? ブッシュ大統領の「250年分の石炭がある」という言葉を聞いて安心できますか?

石炭のネット (正味) エネルギーは、石炭の質によって大きく異なっています。しかし、石炭採掘の正味エネルギーは、既に減少カーブを描いています。

まぁ、それでもいいじゃないか。ウランを使えばいいじゃないか? ウダウダ思い悩むのは止めて、原子力発電所を大量に建築しよう、と考えますか?

しかし、同様に原子力に関する議論にもやはり不備があります。残存しているウラン鉱石のグレードを調べてみると、最高で20%、最低では0.007%までの大きな幅があることが分かります。全グレードのウラン鉱石で、存在が確定している、または推定されているもののうち、3割だけが純度0.1%以上です。残り7割は0.1%以下の純度しかありません。唯一、カナダだけで1%以上の純度のあるウランの埋蔵が確認されており、残りの11カ国では既にウラン鉱石を採掘し尽してしまいました。

ウラン鉱石がとてつもない低濃度であることを考えると、ウラン産出量はとてつもなく劇的です。しかし、それはあまり良い意味ではありません。70%以上のウラン鉱石が0.1%程度の純度でしかありません。たった1kgの酸化ウランを取り出すためだけに、500kgから1tものウラン鉱石を採掘し、複雑な化学的プロセスによって不純物を取り除く必要があります。

銅鉱石と同じく、ウラン鉱石も濃度減少のカーブを下っているのは明らかです。減耗カーブの終わりに差し掛かるに従って、より大量のエネルギーと資金が必要とされることに疑いの余地はありません。

少し付け加えておくと、フランスは国内の90%の電力を原子力発電から得ています。しかし、フランスにおけるウラン採掘量は1980年代後半にピークを迎えています。一方、アメリカではウラン採掘のピークは1980年代初頭でした。フランス、アメリカともに、ピークウランを過ぎてしまっています。もし、未来のエネルギー源が原子力だとしたら、未来はこの2カ国以外のどこかに存在しているのでしょう。

実際のところ、資源採掘の一般法則は、人間が消費する資源に全て適用できます。農業に必須の無機物であるリン、海中の魚類個体数、個々の金属産出量は、同様の傾向を示しています。人類は、グレードの高い資源を使い尽しつつあります。ほとんどの資源は既に不足し始めているか、または今後数十年の間に枯渇し始めるでしょう。さらに悪いことには、資源採掘の試算においては、十分なエネルギーが存在することを仮定しています。莫大なエネルギーを使用して、何マイルもの深さの穴を大量に掘り、低濃度の鉱石を追求し続けられると考えているのです。しかし、エネルギーが不足した時には、資源の採掘量にどう影響するのでしょうか? 誰も真剣に検討していないように思われます。

本章をまとめると、既に私たちは全世界中の最高グレードの鉱石を掘り尽し、最も容易に入手可能なエネルギー源を消費し、豊かな土壌で耕作をしてしまっているということです。1kgの小麦が栽培される度に、同じ重量の表土が失なわれると言われています。たった1インチの表土が生成されるまでに何百年も必要だということを考えると、つまり農業は土壌資源を採掘しているのだと言うこともできます。

何億年もかけて形成された鉱物資源とエネルギー源、何千年ぶんもの土壌、それら全てが、石油発見後のたった数百年の間で消費され尽くされようとしています。人間の文明のタイムスケールでは、それらの資源は一度失なわれたら二度と手に入らないものであると言っても差しつかえありません。

人間の活動を測定する別の方法としては、ある種の環境ストレス指標生物を使用するものがあります。一例としては絶滅種数がありますが、それ以外にも全世界の沿岸部に表われているデッドゾーンが挙げられます。

実際のところ、注意して観察してみれば、現代文明のダッシュボードの至る所で警告灯が点滅しているのが見えるでしょう。絶滅種から海洋資源の減耗、滞水層の減耗、表土喪失、エネルギー資源の減耗、その他のあらゆる警告灯です。

もし、自動車の運転中に警告灯が光ったら、運転を止めて車に何が起きたのかを調査するだろうと思います。これまでのところ、逆に世界はアクセルを踏み込んでいるように思えます。

これらの警告灯が光っている理由は簡単です。地球上で、毎年7000万の人が新たに生まれてきているからです。つまり、今後40年の間に、天然資源を必要とする人々の数は50%以上増加し、彼らと資源の分け前を交渉しなければならないのです。

もしこの問題に真剣に対処すれば、おそらく人類は十分に対応できるだろうと考えています。しかし、もし人類が単なる成長路線を選択するのであれば、つまり、単に現在の貨幣制度の前提であり、政治家のデフォルトの立ち位置だからという理由で、現状維持を選択するのであれば… それは単に、壁に激突するまでスピードを加速させるということを意味しているように思えます。選択肢は明らかです。 — 今、自発的に変化を起こすのか、それとも後で不本意な変化に直面するかです。

経済に話を戻します。現代経済の主要な前提は、未来の経済規模は単純に大きくなるのみならず、指数的に拡大するというものです。この間違った前提は、現実と向き合わなければなりません。これらの物理的限界は近い将来、今後20年のうちに現実を迎えるだろうと、私はみなさんに宣言します。

ここに来て、ついに3つのE全てを視野に収めることができるようになりました。現代の経済は、指数的に成長するお金の制度を基礎としており、お金の制度は、明示的に、永続する成長というパラダイムを強制しています。そして、暗黙的に未来は現在よりはるかに大きくなると仮定しています。経済成長はエネルギーを必要とします。しかし、エネルギー資源採掘の傾向は、現代経済と私たちのライフスタイル全てと矛盾しています。ピークエネルギーは、全くの事実であり、近い将来に迫っています。

他の環境に眼を向けると、人類は全ての質の高い資源を使ってしまったことが理解できます。今や私たちは、乏しく、希薄され、より深い場所にある資源を、現在のライフスタイルを維持するために採掘しなければなりません。生態系が受けているストレスは、警告灯が光るレベルに高まっています。これまでのような消費文明を今後も継続できるかのように装うのは、今後40年間で世界人口が50%増加することを考えると、実現可能な計画ではありません。実際のところ、それ以外の計画が何も存在していないのです。

資源のグレード低下だけを考えても、永遠に指数的な資源採掘を続けられるとは信じられません。さらにエネルギー供給の低下に関する知識を付け加えるならば、質が低下した資源の採掘量が指数的に拡大し続けるとはとても考えられません。

なぜならば、必須の資源 — 金属、鉱物、土壌、水、海洋資源、そしてそれ以外のものも全て — の採掘プロセスと、運輸、建築や暖房などの必須の需要との間で、競争が激しくなるだろうと考えられるからです。

全てをまとめると、人類の課題は、資源が減少した世界に適合することだというのが明かになります。
現在の経済システムは、成長を続けなければならない設計となっています。しかし、経済システムはもはや成長できないエネルギー資源と結びついており、経済とエネルギーは、急速に減耗していく世界の資源と繋がっています。3つのEの中で、経済は変化を迫られるでそしょう。そして、経済制度の激変に備える必要があります。

これこそが、クラッシュコース全体を通して伝えたいことなのです。

もっと単純に言います。 私たちの経済は、成長を必要とするお金の制度を維持するために成長を続けなければなりません。しかし、経済成長はもはや成長不可能なエネルギーシステムによって困難になっています。そして、環境とエネルギーの両方とも、急速に減耗しつつある自然世界に結び付けられています。

最後に言っておきたいのですが、私はこれまで説明してきた問題は、解決不可能なものだとは考えていません。もしそう考えていたのなら、私は過去4年間、フルタイムでこのクラッシュコースを作り上げることはしなかったでしょうし、他のことに使えたかもしれない銀行預金の残高を減らすこともなかったでしょう。私は楽観論者であり、より良い未来を私たち自身で作っていけると考えています。

私たちには、もはや「250年の石炭埋蔵量」のような心地良い陳腐な決まり文句に関わっている余裕はありません。

より大きな視点で考えて優先順位を明確にし、「これまで悪いことは何も起こらなかったのだから、これからも起こらないはずだ」という未熟な考えを捨て去るべき時です。そして、後に続く世代に対して、私たちが彼らのことを気に掛けていたということを示さなければなりません。私たちは、後に続く世代からどう評価されたいでしょうか? 私たちが後に遺せるものは何でしょうか?

良かれ悪しかれ、私たちは偶然にも人類の歴史における劇的なターニングポイントに居合わせてしまいました。人類の祖先が樹上生活を止めたことにも匹敵する変化かもしれません。本当の問題は、変化する社会の中でどのような役割を果たしたいのか? 恐怖に満ちた人生か、あるいは確固たる目的に満たされた人生、どちらを送りたいのか? ということです。

問題が手に負えなくなるのは、あまりに長期間放置してしまった時だけなのです。

オーケー、それでは、これまでの全ての問題を1つのタイムライン上に配置し、私たちが直面しているリスクの緊急性を評価してみましょう。19章 『未来のショック』に進んでください。

ご清聴ありがとうございました。

クラッシュコース 第十七章 C『エネルギーと経済』

この文章は、クリス・マーテンソン氏による『クラッシュコース』第十七章のC 『Energy and the Economy』の翻訳です。 – 目次はこちら

それでは、ついにこの章でエネルギー問題と経済問題とを結び付けます。

最近のインタビューで、ユーロ・パシフィック・キャピタル社のピーター・シフ氏は、経済学という学問をこのように表現しています。「有限である資源を用いて、人間の無限の欲求を満たすための科学」であると。人間の欲望を考えれば、ほとんどの人が億万長者のような生き方を望むかもしれませんが、現状の豊富な余剰エネルギーのもとですら、全人類に億万長者の生活を提供することは不可能です。幸運にも、過去100年以上に渡って人類は膨大な量の余剰エネルギーを利用できていたのですが。

さて、ここからが本題です。指数関数のグラフを覚えていますか? 理論上は、指数的成長と減耗曲線で満ちた世界に生きることに何も問題はありません。ただし、世界に限界が存在しない限りは。物理的限界に近づいていくに従って、逆に指数的成長はとてつもなく大きな意味を持ち始めます。石油は、近い未来限界に達するだろうと考えられています。既に、石油発見量と採掘量の両面から、境界に近づきつつあると示されているのですから。

人口、お金、石油需要の3つ全てが、指数関数的な成長を遂げてきました。この3つのうち、人口と貨幣制度の2つは石油によるエネルギー供給の継続的拡大に依存していると考えられます。

ここから推論を進めると、ある疑問が生じます。仮に、現在の指数的増加を基礎とする経済制度と貨幣制度が、人類の進歩による洗練された制度というよりは、実際のところ石油エネルギーによる人工物でしかないとしたら?
豊かな現代社会における複雑さの全て、何兆ドルという富と負債とが、地面から採掘された余剰エネルギーの、単なる表出でしかないとしたら? 興味深い疑問です。

より緊急には、私たち全員が、「石油の生産量減少が始まったとき (としたら ではなく) 何が起きるだろうか」という疑問を真剣に考える必要があります。

減少期には、指数関数的な借金増加に依存した現代の貨幣制度に何が起きるのでしょうか? 貨幣制度は持続的成長なしに機能できるのでしょうか? 重要な問題であり、真剣に解答を考えなければなりません。私は、現在進行中の金融的不安定性について、少なくとも部分的にはこの過程の初期段階だと考えています。

石油消費量を4000年間の年表中に描き、その上に人口増加のグラフを重ねてみるとさまざまな種類の困難な問題が浮かび上がってきます。同時に、選挙の年のお祭り騒ぎの時、もう少し熟考された未来の計画が必要なのではないか、とこれらのグラフは私たちに訴えています。

中央銀行は、利用可能エネルギー源の指数的増加とたまたま同時期に成熟を迎えたに過ぎず、ごく短期間だけ力を得て崇められていたに過ぎません。不換紙幣制度の出現時には、1兆バレルものエネルギーの追い風があったのですが、それは今では逆風に転じようとしています。

持続的な成長期、増加し続けるお金を分配する金融業は、政治的にも大衆からも支持された愉快な仕事でした。エネルギーが減少する世界においては、あらゆる政治、金融機関がこれまでのやり方を完全に変える必要があります。

そこで、今ここで考えてみましょう。最も根本的な前提に誤りのある貨幣制度において、今後何が起きると考えられるでしょうか。つまり、「未来は現在よりも拡大するだけではなく、指数的に拡大する」という前提が誤りであったとしたら?

合衆国の負債額の対GDP比を見れば、この前提があることは明らかです。しかし、1985年から2008年までの赤で囲った期間を見れば、将来は現在よりも更に成長するという根本的な信念が誤りだということが分かります。アメリカの経済規模が14兆ドル程度でしかないのに、負債総額は49兆ドルを超えています。ざっくりと言えば、手取り年収1400万円の人が5000万円の借金を抱えているようなものです。

もし、自分の税率が2, 3倍になることを知っていたとしたら、こんな借金を組むのは賢明なことでしょうか? 国家にとっては、安価な石油の終わりは、恒久的な手取り収入の減少を意味していることを思い出してください。

私からの質問は、自身の収入が減っていくとはっきり分かっているときに、正常な判断力の持ち主は借金を増やし続けるだろうか、というものです。

ここまでをまとめます。現状の私たちの知識を述べます。
私たちは、エネルギーが全ての成長と複雑性の原因であることを知っています。
余剰エネルギーが減少しつつあるということも知っています。
私たちは、安価な石油の時代が終わったということも知っています。
そして、上記の理由から、燃料費用が全支出中に占める割合は増加し続けるだろうと知っています。

以上を考えると、いくつかのリスクがあります。指数的な貨幣制度は、余剰エネルギーが減少する世界においては機能不全を起こすリスクがあります。貨幣は、単純に役割を果たせなくなるかもしれません。

また、現代社会は複雑性を失うことを強いられるリスクがあります。もし真剣に考えるなら、この文章は非常に含みのある書き方をしていると言えるかもしれません。

そして最後に、石油生産量が低下したとしても、貨幣制度の慣性力はハイパーインフレーションの原因となるかもしれないというリスクがあります。

それぞれの事実から、それぞれのリスクが生じていると分かります。そして、これこそがクラッシュコースで伝えたいことなのです。つまり、リスクを評価し、分別のある大人がリスクに直面した際に

以上のこと全てを考慮すれば、未来予測をするのは難しくありません。
ただし、覚えておいてくさい。私は、新たな情報によってこの予測が間違っていことが示された場合には、後で考えを変更する権利を留保しておきます。

まず、現在の体制は、いかなる犠牲を払ってでも維持されるでしょう。政治家は真実を隠蔽し続け、経済統計はより曖昧になり、中央銀行は、もはや根本的に現実と対応を失なった経済システムに対して紙幣を投入し続けるでしょう。

2番目に、結果としてハイパーインフレーションが発生するでしょう。あらゆる商品の価格は、一時点においてどれだけのお金と商品が流通しているかによって決定されます。文字通りあらゆる不換通貨体制が同じ理由によって破綻してきたので、もっと大量のドルが発行されるだろうと合理的に結論付けることができます。同時に、余剰エネルギーの減少から、流通する商品が減少することは確実です。この2つの理由から、インフレーションが引き起こされるでしょう。

3番目は、1番と2番からの論理的な帰結です。生活水準は低下すると考えられます。しかし、生活水準が低下したとしても、生活の質を向上させることは可能です。私はその実例です!

確かに、私がここで取り挙げた問題は数年から数十年先のことであり、人々の行動やテクノロジーの変化によって影響を受けることはほぼ確実です。しかし、次の事実も否定できません。現代社会は、現状維持のための絶望的で、完全に愚かな、不愉快な戦いのために貴重な時間と資源を浪費しています。私たちは、この罠に陥ってはなりません。

そして、この点に関して、クラッシュコースは終わりに近づいています。次の章では、最初の2つのEと環境 (Environment) を結び付けます。そこでは、資源採掘量の指数的な増加と、人類にとって重要な生存基盤の変化、減耗について取り上げます。

それでは、『18章 環境』に進んでください。

ご静聴ありがとうございました。

クラッシュコース 第十七章B 『エネルギー予算』

この文章は、クリス・マーテンソン氏による『クラッシュコース』第十七章のB 『Energy Budgeting』の翻訳です。 – 目次はこちら

それでは、私個人の投資判断と日常的な消費習慣の両面に大きな影響を与えている発想の核心へと迫ります。私はこれをエネルギー経済と呼んでいます。

工業用途での石油利用が始まった時代には、世界人口は15億人であり、石炭蒸気船と並んで帆船もまだ広く使用されていました。それ以来、世界人口は4倍以上に増加し、世界の経済規模は20倍に、エネルギー使用量は40倍にも増加しています。

私たちは、人類の潜在能力の爆発的解放から生じた恩恵に浴しています。しかし、永続的繁栄という夢の儚さを本当に理解するためには、現代社会を成り立たせる上でエネルギーが担っている役割を知らなければなりません。

第5章の内容を思い出してください。5章で私は成長と豊かさの両方が「余剰」に依存していることを指摘しました。そして、その他にもう一つ、社会的に重要な要素があります。

図中の黄色の長方形で、人類に対して供給可能な食料の合計値を表現するとします。ただ生存のためだけに必要となる食料がこれと全く同量であるとすれば、社会は原始的であまり複雑ではない状態に留まるだろうと考えられます。

しかし、もし1カロリーを消費して1.2カロリーを生産できるならば、中世と同様のエネルギー均衡を実現していることになります。わずか20%という余剰エネルギーは、中世の豊かな社会階層の形成、専門化した職業の発展、巨大な建築物を建設するために十分だったのです。

十分な余剰エネルギーが存在すれば、とても複雑な社会を短期間で構築することもできます。産油国であるドバイの17年間の写真は、それを例証しています。

ここで、クラッシュコース13番目のキーコンセプトを述べます。
「社会の複雑性は、余剰エネルギーに依存している。」
こう考えると、現代社会が得ているエネルギーの総量はどの程度なのか、そして余剰エネルギーがどこから生じているのか、もっと注意を払わなければならないと言えないでしょうか。

そこで「エネルギー予算」という概念を簡単に紹介します。エネルギー予算の考え方は、家計予算と全く同じですが、ただし予算の中にお金の項目は存在しません。それは以下のように働きます。

ある時点において、社会の需要に従って使用可能なエネルギーは、一定の量存在しています。エネルギーの総計をこの正方形で表現します。太陽光、風力、水力、石炭、原油、天然ガス、あるいは、ここで挙げなかったもの全ても含んでいます。

これが私たちが自由に使えるエネルギーの総合計です。さて、翌年更に多くのエネルギーを使用したいと望むのであれば、当然いくらかのエネルギーを新エネルギー発見のために投資しなければなりません。また、エネルギー資源を採掘、流通させるためのインフラ資本を建造、維持するのにもエネルギーの投資が必要です。道路、パイプライン、送電塔やさまざまな建造物などがこのカテゴリーに含まれます。

残りのエネルギーが、私たちが消費できる量です。このうちのいくらかは、基本的な欲求、たとえば水、食料や住居のために消費されます。最後に残ったエネルギーが、ガラパゴス諸島への旅行や、フラフープや、お祭りへの参加といった、余暇のために使えるものになります。

これをもっと単純化します。エネルギー消費量は2項目に分類できます。社会の全てを維持するために必要なエネルギーと、ある程度までは私たちが自由に使い道を決められるエネルギーです。

これは人の収入と同じように考えられます。家計年収が50万ドルである家庭を考え、全税率が30%であるとします。手取り年収の35万ドルの中から、食費、家賃や自動車のガソリン代を支払い、他のことにお金を使わなければなりません。もし、税率と手取りが逆になったとすると、手元には15万ドルしか残らず生活は一変してしまいます。この家族は食料と家賃しか払えず、自動車や新しい家電や休暇は遠い記憶となってしまうでしょう。余暇にできることや購入できるものといった観点から見ると、生活は強制的に単純化されます。これは不愉快な経験でしょう。

つまりは、エネルギーを得るために再投資されるエネルギーは、給料に対する税金のようなものだと捉えてほしいのです。

理由を説明しましょう。

エネルギーの価格については一旦忘れてください。実際のところ、価格には物理的な意味が無いからです。特に、お金が真空中から印刷されているような時代には。そうではなくて、ある量のエネルギーを得るために必要となるエネルギー量に注目します。後で説明しますが、これが本当に意味のあることだからです。幸運なことに、この概念は分かりやすいもので「ネットエネルギー」と呼ばれています。

ネットエネルギーの計算では、一定量のエネルギーを得るのに必要となるエネルギー投入量で、獲得量を割るのです。エネルギー投入量は税金であり、一方で獲得量は手取り収入に対応します。1バレルの石油を使って、100バレルの原油を掘り当てたと考えてみます。この場合、ネットエネルギー収益は100:1だと言えます。今の例では、収入100に対して税額は1、つまり1%です。よく使われる別の言い方として “Energy Returned on Energy Invested”、省略してEROEIという言葉があります。この章では、単に「エネルギー収支の商」と呼ぶことにします。こちらの方が視覚化が簡単ですし、本質的には同じものなので。

それでは、エネルギー収入と支出の関係を図に表して、これまでの話を視覚化してみます。赤い部分が投入するエネルギーであり、緑の部分が獲得できるエネルギー量、つまりネットエネルギーです。赤と緑の合計は、常に100%となるように描かれています。最初のシナリオでは、エネルギー収支の商は50となっています。これは、エネルギー探索・生産に1単位のエネルギーを使用する毎に50単位のエネルギーを得られるという意味です。言い換えると、2%のエネルギーが探索と生産のために使われ、残りの実質98%が我々の望み通りに使用できるエネルギーです。これは利用可能な余剰エネルギーとも呼べます。

ネットエネルギー比が15の地点でも、利用可能な余剰エネルギーはまだ高いままです。

言うまでもないことですが、この余剰エネルギーこそが社会全体の経済成長、技術的進歩、そして驚くほど豊かで複雑な社会を支えているのです。

それではグラフの右側の部分で何が起こっているかに注目してください。ネットエネルギー比の値が10から5の間の部分です。指数のグラフについての章を見終えた後であれば見覚えのある形状ではないでしょうか。ただし、今回は下方へと低下するグラフなのですが。横軸の値が5以下のところではグラフは激しく低下しており、そして1の時にはゼロとなってしまいます。1単位のエネルギーを獲得するために1単位のエネルギーを消費するようになった際には、余剰エネルギーは存在せず、その時はわざわざエネルギー資源を採掘する意味は全くありません。エネルギー収支の商が5以下のところでは、私たちは「エネルギーの崖」の上に居るのです。

なぜこのグラフが真に重要であるのか理解するために、石油を例に取ってネットエネルギーの歴史を捉えてみます。1930年代には、石油探索に用いられた石油1バレルあたりおよそ100バレルの生産量があったと考えられています。つまりは100対1という値であり、グラフ上の最も左に位置していました。1970年代には油田はやや小規模になり、原油は地中深くに位置するか、あるいは採掘に高度な技術を必要とするようになりました。当時のネットエネルギー収益は、25:1にまで低下しています。それでもまだ高い数値であり、多くの緑の領域が残っています。1990年代も低下傾向は続き、石油発見の利得は18〜10:1となりました。

それでは現在では? ネットエネルギー比率はたったの3:1と推定されています。なぜネットエネルギーの産出量が低下したのでしょうか。過去には小規模なリグの建設に要する金属を精製するには、比較的少量のエネルギーで十分でした。また、発見量は莫大であり、油田は比較的地中浅くに存在していました。今日では、エネルギー資源採掘に要求されるエネルギーは増大しており、石油探索船やリグは巨大なものになっています。1930年代のごく普通のリグの大きさと比較してみれば、何十倍もの規模の差があります。更には現在では、油田はより地中深くまで採掘されており、しかも発見量、生産量共に減少し続けています。これら全てがネットエネルギーを低下させているのです。

では、莫大な量の原油が含まれていると喧伝されている、いわゆるタールサンドやオイルシェールはどうでしょうか? このところ、「サウジアラビア数個ぶん」の埋蔵量と等しいとも言われていますが。これらのネットエネルギー値は著しく低く、サウジアラビアの原油における100:1という数値とは比べるべくもありません。更には、これらの資源開発に関わる水資源や環境への悪影響は、恐しいまでに高いものとなっています。

そうだとすれば再生可能エネルギーはどうでしょうか? バイオマスに由来するメタノールのネットエネルギーは、せいぜい3倍程度でしかありません。そして、バイオディーゼルの場合は2程度となっています。トウモロコシ由来のエタノールの場合は、甘めに評価したとしてもネットエネルギー産出は1をわずかに上回る程度です。それどころか、ある調査によるとマイナスという評価さえもあります。更に、その他の液体燃料として利用可能なエネルギー源を加えたとしても、全てが「崖の急斜面上」に存在しています。代替燃料のネットエネルギーを急速に増加させられる方法を発見できない限り、私たちの基礎的欲求や余暇に使用できる余剰エネルギーは低下するでしょう。

太陽光や風力発電は、いくらか高いネット産出を示していますが、しかしこれらは発電手段であり、液体燃料の生産方法ではありません。現代社会は既に液体燃料に対して輸送・使用用途で集中的な投資をしてしまっており、エネルギー源の切り替えは容易ではありません。ところで、「水素経済」なるものは、グラフ上のどこに来るでしょうか。ほぼ1:1の位置です。その理由は、地上のどこにも水素の埋蔵は存在しないため、全ての水素は何か別のエネルギーを消費して生産されなければならないからです。つまり、水素はエネルギー源ではなく、エネルギーの消費だということです。水素を生産すればエネルギーは失なわれます。これは悲観論ではなく、自然の法則なのです。熱力学の第二法則そのものです。水素は、エネルギーの媒体であり、エネルギー源ではありません。より正確に言うならば、次のように表現できるでしょう。水素はバッテリーである、と。

ここで少し非現実的な想定をします。誰もこんなバカげたことはしないでしょうが、トウモロコシエタノールで社会の全エネルギー需要をまかなうという政策を、議会が決議したと仮定します。その時には何が起きるでしょうか。議会のエタノール政策を反映してグラフを修正してみると、ほとんどの領域が赤となり、緑の部分はわずかです。税金はとても高く、手取り給料はとても少ない状態です。考えられる全ての代替エネルギー源から、議会がエタノールを選択したということは、私には多少奇妙に思えます。原油を満載したロケットを宇宙へ直接捨てる以上に、これ以上愚かな考えを思いつくことはできません。

重要な点としては、政府がエタノールに補助金を付けて、販売価格を1ガロンあたり数ペニーまで下げたとしても、我々の社会は破滅を逃れられないだろうということです。

その理由は、既に述べた通りです。余剰エネルギーが減少したら、社会の複雑性も低下せざるを得ません。
エタノール体制のもとでは、多くの専門的職業は消滅せざるを得ません。食品添加物規制の専門官は、農家に逆戻りするでしょう。小児腫瘍放射線医は、まじない師にならざるを得ないかもしれませんし、地方のオリンピック企画局員は、まぁ、何かしら別の職を見つけなければならないでしょう。もし現代社会においてエタノールを液体燃料として生活を営むとすると、現代社会に関連付けられている全ての専門的職業は、即座に消滅せざるを得ません。なぜなら、実際上エタノールからは余剰エネルギーを得ることができないからです。

この図の、消費エネルギーと再投資エネルギーのバランスが取れた状態から、すぐ不安定な状態に変化するでしょう。というのは、エタノールや他の乏しい再生可能エネルギーは、現状の私たちのライフスタイルとは全く相容れないからです。

では、次の章へ進む前に本章のキーコンセプトをもう一度おさらいします。キーコンセプト13番「エネルギー価格を考えることは非合理である。ネットエネルギーが全てである。」
このキーコンセプトにもとづいて考えると、トウモロコシエタノールも水素も残念な欠点が存在します。
キーコンセプト14番 「社会の複雑性は、余剰エネルギーの上に成り立っている。」
もし、私たちが現在の社会の形をそのままで維持したいと望むのであれば、このキーコンセプトを学んで身につけなければなりません。

それでは、17章『エネルギーと経済』に進みましょう。

ご清聴ありがとうございました。